20221004

対立への恐怖。他人に合わせる。個の埋没。

 

して、今日は、書くことないな。思い付かない。本を読まなくちゃ。また、ほとんど読まないで返すことになってしまう。寝た。ラジオを聞きつつ寝た。布団が暑い。人肌恋しさもこれで解決。暖かい布団に触れて、温もりを感じましょう。自給自足のぬくもり。

 

とにかく、ボーッと過ごすようにつとめている。がんばっている。周りの動きに、反応しないように、反応した自分を弱めるように。すると、いくらか感じることは減るみたいで、日記に書くことは、ない。以前のように、ちんぽだとか、そういうのも減っている。

 

ラジオは、近代史の話題だ。たまに大河ドラマで見聞きした話も出てくる。そんなこともあったな、と思い返しつつ、そんなことがあったのか、と改めて聞きつつ。だが、内容はそんなに覚えていない。再生ボタンを押すだけで満足するのは、僕だ。

 

最近、タバコを吸いたい気持ちが少し減ったように思う。体調がわるいのか。何がきっかけだったのだろう。自足を心がけてからかな。ああ、そう、自足を

心がけてから、幻聴から、やりすぎだとか言われるようになった。一番近い友達である幻聴。私はいつも1人ではないのだ。常に二人はいる。寂しさとか論外である。

 

他人をありのまま認めるというのが、思い立ったが、うまくいってないようで、混乱しがちである。どこまで何を削ったらいいのか、まだ迷いもあるし、考えている自分を否定することも、よろしいのか、確かではない。他人のものは、それはそれ。言うのは簡単だった。行動と感覚にはめこむのは、難しい。どういうことなんだろね。

20221003なんのためのダブルチェックよ

人はミスをする。あれだけ楽しくて集中しているゲームでもコマンドミスをするくらいなのだ。

 

他人の行動の結果について、仮説を立てて、それを前提に自分の行動を最適化すること。これを大切だと考えた。

 

他人の要求に応えようというのをやめろ。他人の要求は際限がない。途方もなく、キリがない。

 

理想を目的に据えるのはやめろ。追求した結果として、理想に近づければいい。理想に敵うこと、それそのものを目的や目標に据えること、これもまた途方もない。延々と終わらない道のりである。

 

悲しみを感じた。ここでの自足とは、なんだろう。

 

他人の要求に応えよう努力する。続ければプレッシャー、失敗は自分を責める理由になる。

自分の程度と諦める。不真面目などのレッテルを貼られる。対立、軋轢への不安を抱く。精神疲労の蓄積への不安。

思い付く選択肢に、良い結果、都合の良い結果へのイメージがない。どう転んでも、自分は負担がかかるというイメージ。それが、社会不適合でありたいと思う理由なのかも。

 

ヅラ

デリカシーなくね

 

そこで、ふと、思った。おれの1日の内容が、それか?あまりにつまらなくないか?他人との対立に怯えて、一言一句の印象を反芻する、なんて無駄なことをしているのだろう。考えるなら、もっと違うことを考えろよ。思考のフレームを増やすって言っておきながら、今までの枠組みにとらわれているじゃないか。何をしている。読んだ本の印象的な部分を、拾ってるほうが全然ましだし、聞いたラジオの耳に残っている部分を反芻するほうが、まだましだ。あまりにつまらない思考に、自分に、愕然とした。かえやう。これは、変えよう。読んだ本をそのまま思い出そうとするくらいでもいいから、自分のためになることを考えて。

 

人は自己満足から始まる

人の最小のコミュニティは、自分自身だ。その自分を満たして、始めて、他人と作る、より大きなコミュニティへと参加できる。

自分自身を満たすことができないとき、その欠落の埋め合わせを、他人に求めることになる。他人への助力であるとか、与える活動をするときに、阻害因子となる。なぜなら、他人の需要に対して、それを満たす行動をとるはずが、その行動の目的がすりかわってしまうからである。すなわち、自分の満足を、他人に与えさせるためのものになってしまう。

 

まあいいや

20221002

SNSを、憂さ晴らしに使っている。自分の気楽さを追求している。人と関わりながら、何もかも気楽でいられる関係を探しているのかも。

 

そんなおれには、マーケティングとしてのSNSは、遠い話で、以前に考えて、あきらめたところでもある。前は、手話を使って、話題にならないか、なんて、考えてたな。すぐに諦めたが。まるで知らないことでもあるし、調べることもしなかった。ゼロから作ることに、躊躇したか。ニュースを見て、確かに、と、思うところ。SNSは、国境を超えたマーケティングに使えるのだ。日本の文化を伝えることが、海外向けのマーケティングかと思ったが、そればかりではないらしい。海外の話とエンタメを組み合わせることも、海外向け、らしい。海外の話を日本に対して作ることも、海外の需要を刺激する要素になるらしい。コンテンツを通して、宣伝の機会を得たいと考えている層に刺さったのか。そんなふうに考える。おお、確かに市場経済だな。そんな自分に感嘆したり。バズるコンテンツは、広告として使われる。そこに市場経済の需要があるのか。

 

まずは、自足だ、自足。自分で自分を足らしめる。自分を満足させることで、人間の価値観に沿うことを学んでいくところもあろう。思考のフレームを増やす。本を読もう。自分の外にある価値観を取り入れていこう。考え方を変えることを、意識しよう。解釈の幅を広げてもいきたい。捉え方も増やしていきたい。まずはそれ。それだけ。他人に何かを与えることを、捨てる。まずは自分だ。

 

結局、ポッドキャストずっと聞いてた。今ある自分に付与していく。それしかできないんだ。他人をねたむな。

20221001

頭いい。それは、属性やレッテルに負ける。どんなに練られた論理も、クズの一言で一蹴される場合がある。アイデアなんかは、特にそうだろう。その人の一属性で、無価値なものとされる。市場経済に役立つものが優先される時代なのだ。

 

偏屈。おれは偏屈か。考えかたが凝り固まっているのか。思考の枠が、少ないのか。視点が少ないとか、固定されているのかもしれない。資本主義を、絶対のものと思うあたりが、なんかガチガチよな。ひとつのやり方とか、文化とか、見方あるやんな。さっき読んだ本には、虚無と捉えるなんて見方もあったくらいだし。

 

他人の思考を知って、その考え方をパクる、でいいんじゃないの。どっかの誰かに、何かを産み出せと言われたことが未だに残っているけど、生み出すというなら、この日記だって、おれの表現と思考の塊ですから、既に何かは産み出しているんですよ。それが、誰にとってどんな価値になるかは、知らん話で、さらにいうと、市場で取引されるような価値を持ったものを作れと言われると、ああそれは難しいことですね、ってなる。